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 八卦掌は、中国において約一万年前の上古時代の仙道の修行法で、後に道家及び道教により伝わってきたものです。

 清朝末期に粛王府の獲院総管(現在の宮廷警備隊長)の職に就いた董海川が一般の百姓を含めた多くの人に広く伝えことが八卦掌の広まるきっかけとなりました。

 董海川は、1797年に河北省文安県朱家塢に生まれ生来超人の力があり、幼少から郷里の武術の稽古をして青年のころには達人の域に達していた様です。性格は豪快で、武道を極めるために有名な山と川を遊覧しながら修行をしてついに仙道に入道しました。

 董海川が仙道の武術の技を伝え出してからわずか20年ほどで中国全域に広まりました。仙道から俗世に公開150年あまりの歴史は短いがその技のすばらしさに感動する者が少なくなく、今日では世界中の人に親しまれています。

董海川は、100人あまりの弟子を育成し、粛王府の獲院総管の職に就いたときだけ56人の弟子が入門しました。その中でも「伊 福」、「程廷華」、「宋長栄」、「史紀棟」、「馬維棋」、「劉徳寛」、「劉鳳春」、「梁振圃」は特に有名です。またこの人達はそれぞれに八卦掌以外の武術の達人であり董海川もこれを良く知っていて、それぞれにもつ技の個性を生かした指導をしたと伝えられています。

 1882年、董海川が85歳で亡くなられてから、弟子の伊 徳安(伊 福)達は北京東直門外榛樹東北紅橋大道のそばに彼を埋葬してそこに記念碑を建てました。

 三大流派中の宋長栄、宋永祥は二宋と呼ばれ、宋 長栄の宋派の資料は、戦火などでほとんど無くなり、近代にほとんどの技は失伝されてあまり知られていません。八卦掌の達人で宋長祥代表の宋派について少し述べたいと思います。

 宋派の資料や伝人が少ない理由の一つに「宋長栄」の弟子が少なかったことがあります。現代では、五代掌門「于 河川」先生がひっそりと山奥でその技を教えていましたが、1998年逝去されました。

 宋派は主に中国東北部に伝わりましたが、近代に入り日本軍(関東軍)に占領され日中戦争の最前線でした。また古くからも異民族同士の対立が絶えずこの地に住む人々が侵略と支配抵抗の中で伝統武術を継承するため、想像できない苦難の道を辿ってきたかを、真摯な気持ちで回顧していただければ日中友好のおよび世界平和の重要性に気づいていただけると思います。
 
董 海川